2014年1月30日木曜日

舞台を、映像に2

舞台を映像に。本日は二回目です。
NHK教育番組のような導入で失礼します。


最近、人生いうものは、ほんのささいなことで行くべき道が分かれてしまうのだなと思います。
そんなわけで本日は、少々昔話から。


あれは、まだ僕が小学校に入学する前。
当時の僕は、絵を描くのが好きでした。
なんのことはない動物などを、新聞の折り込みチラシの裏や、コクヨの「じゆうちょう」などに描きなぐり、日々を過ごしていました。

思えば、運動もろくにできず、外で元気に走り回ることもできなかった僕にとって、絵を描くということだけが、ある種のステイタスだったのでしょう。
幼稚園で絵を描けば、幾度か「金賞」という名のついた、今となってはなんなのかよくわからない賞に表彰されたこともありました。

そんなある日、いつものように幼稚園に行くと、その日は衣替えだったようで、僕以外のみんなが、上着を着ていました。
たしか、おばあちゃんに、「暑いから脱いでいけ!」と言われたのが原因だったと思います。
僕だけが上着を着ないままに、その場に佇んでいました。

当然、門のところで先生に止められました。「上着はどうしたの?」と。
僕は悪びれることもなく、「忘れた」と言いました。上着をちゃんと着た友達が、僕を振り返り、心配そうな表情を浮かべています。
まぁ、これは怒られるだろうなと、幼い心に思いました。

するとその先生は、もう一人近くにいた先生を呼び、なにやら小さな声で相談を始めました。
ほとんど聞き取れはしませんでしたが、一言だけはっきりと
「この子、金賞だしね…」
と、悩ましげな先生の声が聞こえました。

次の瞬間、僕はなんのお咎めもなしに、幼稚園の中へと通されました。
「そうか。権威とは…こういうことか。」
幼心に、そんなことを思ったのを、よく覚えています。


そんな、ある日のことでした。
いつものように「じゆうちょう」を開き、その紙の上に鉛筆で線を走らせることに身を任せ、その快楽に恍惚としていると、
大好きなおばあちゃんが僕の描いている絵を覗きこみ、
一言、こう言いました。

「よっちゃん、下手になったね」

よっちゃんとは、僕の名前でした。一瞬違うかなとも思いましたが、僕の名前でした。


その日から、僕はまったく、絵が描けなくなりました。


金賞を取りまくり、幼稚園のドレスコードをぶっちぎるほどに肥大していたはずだった僕のステイタスは、
なんのことはない、たったの一言に殺されたのです。

その後も、そのトラウマからか、小学校で絵の課題が出されても一切何も描かず、ボイコットをするようになりました。
「なんでなにも描かないの!?なに描いてもいいんだよ!」と小学校の先生が怒鳴っても、僕は唇をかみしめ、なにも描こうとはしませんでした。
自由になんて、僕には描けません。
僕の「じゆうちょう」は、あの日になくしてしまったのです。


そんなこんなで、僕は今、とても絵が下手です。

漫画が好きで、漫画家になりたいと思ったこともありました。しかし、絵を描くことの恐怖からか、すぐに諦めました。


もしもあの一言さえなかったら…僕は画家か漫画家になれていたかもしれない。おばあちゃんを恨むわけではないですが、そんな風に考えてしまうこともあります。

でも今の僕は、甥っ子にせがまれて絵を描けば、真顔で見つめ返され、
友達の結婚式の余興で絵を描けば、下手すぎて「こわいよ」と笑われてしまうのです。

これが、かつての金賞少年の、なれの果てなのです。


なにが言いたいのかよくわからなくなってきたので、本題である舞台の話をします。

そんな僕が、今まで見た舞台で一番衝撃を受けたのは、「夢の遊眠社」という劇団さんの「贋作・桜の森の満開の下」という公演でした。

出会ったのは高校時代。
先輩から借りた、一本のビデオテープでした。

生で観たわけでは、ありませんでした。
しかし、それを見た時の、「こんなにおもしろいものがこの世にあったのか」という衝撃は、僕を富山の片田舎から上京させ、10年以上も演劇の世界に縛り付ける結果を生みました。

そもそもが、僕が4歳の時に公演された舞台です。
生で観ることは、かなわなかった公演なのです。

それがなんの因果か、時間も場所も飛び越えて、僕の目の前にあらわれたのです。

舞台は、終われば何も残りません。それが魅力と言う人もいます。
しかし、僕の人生が、たった一言、たった一本のVHSで変わったように、
少しでも残すことができれば、そしてそれが見に来られなかった人のもとにまで届くことができれば、その人の人生のなにかが変わるかもしれない。


それは、とても素敵なことだと、思うのです。



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