2014年1月30日木曜日

舞台を、映像に2

舞台を映像に。本日は二回目です。
NHK教育番組のような導入で失礼します。


最近、人生いうものは、ほんのささいなことで行くべき道が分かれてしまうのだなと思います。
そんなわけで本日は、少々昔話から。


あれは、まだ僕が小学校に入学する前。
当時の僕は、絵を描くのが好きでした。
なんのことはない動物などを、新聞の折り込みチラシの裏や、コクヨの「じゆうちょう」などに描きなぐり、日々を過ごしていました。

思えば、運動もろくにできず、外で元気に走り回ることもできなかった僕にとって、絵を描くということだけが、ある種のステイタスだったのでしょう。
幼稚園で絵を描けば、幾度か「金賞」という名のついた、今となってはなんなのかよくわからない賞に表彰されたこともありました。

そんなある日、いつものように幼稚園に行くと、その日は衣替えだったようで、僕以外のみんなが、上着を着ていました。
たしか、おばあちゃんに、「暑いから脱いでいけ!」と言われたのが原因だったと思います。
僕だけが上着を着ないままに、その場に佇んでいました。

当然、門のところで先生に止められました。「上着はどうしたの?」と。
僕は悪びれることもなく、「忘れた」と言いました。上着をちゃんと着た友達が、僕を振り返り、心配そうな表情を浮かべています。
まぁ、これは怒られるだろうなと、幼い心に思いました。

するとその先生は、もう一人近くにいた先生を呼び、なにやら小さな声で相談を始めました。
ほとんど聞き取れはしませんでしたが、一言だけはっきりと
「この子、金賞だしね…」
と、悩ましげな先生の声が聞こえました。

次の瞬間、僕はなんのお咎めもなしに、幼稚園の中へと通されました。
「そうか。権威とは…こういうことか。」
幼心に、そんなことを思ったのを、よく覚えています。


そんな、ある日のことでした。
いつものように「じゆうちょう」を開き、その紙の上に鉛筆で線を走らせることに身を任せ、その快楽に恍惚としていると、
大好きなおばあちゃんが僕の描いている絵を覗きこみ、
一言、こう言いました。

「よっちゃん、下手になったね」

よっちゃんとは、僕の名前でした。一瞬違うかなとも思いましたが、僕の名前でした。


その日から、僕はまったく、絵が描けなくなりました。


金賞を取りまくり、幼稚園のドレスコードをぶっちぎるほどに肥大していたはずだった僕のステイタスは、
なんのことはない、たったの一言に殺されたのです。

その後も、そのトラウマからか、小学校で絵の課題が出されても一切何も描かず、ボイコットをするようになりました。
「なんでなにも描かないの!?なに描いてもいいんだよ!」と小学校の先生が怒鳴っても、僕は唇をかみしめ、なにも描こうとはしませんでした。
自由になんて、僕には描けません。
僕の「じゆうちょう」は、あの日になくしてしまったのです。


そんなこんなで、僕は今、とても絵が下手です。

漫画が好きで、漫画家になりたいと思ったこともありました。しかし、絵を描くことの恐怖からか、すぐに諦めました。


もしもあの一言さえなかったら…僕は画家か漫画家になれていたかもしれない。おばあちゃんを恨むわけではないですが、そんな風に考えてしまうこともあります。

でも今の僕は、甥っ子にせがまれて絵を描けば、真顔で見つめ返され、
友達の結婚式の余興で絵を描けば、下手すぎて「こわいよ」と笑われてしまうのです。

これが、かつての金賞少年の、なれの果てなのです。


なにが言いたいのかよくわからなくなってきたので、本題である舞台の話をします。

そんな僕が、今まで見た舞台で一番衝撃を受けたのは、「夢の遊眠社」という劇団さんの「贋作・桜の森の満開の下」という公演でした。

出会ったのは高校時代。
先輩から借りた、一本のビデオテープでした。

生で観たわけでは、ありませんでした。
しかし、それを見た時の、「こんなにおもしろいものがこの世にあったのか」という衝撃は、僕を富山の片田舎から上京させ、10年以上も演劇の世界に縛り付ける結果を生みました。

そもそもが、僕が4歳の時に公演された舞台です。
生で観ることは、かなわなかった公演なのです。

それがなんの因果か、時間も場所も飛び越えて、僕の目の前にあらわれたのです。

舞台は、終われば何も残りません。それが魅力と言う人もいます。
しかし、僕の人生が、たった一言、たった一本のVHSで変わったように、
少しでも残すことができれば、そしてそれが見に来られなかった人のもとにまで届くことができれば、その人の人生のなにかが変わるかもしれない。


それは、とても素敵なことだと、思うのです。



2014年1月28日火曜日

声優・永井一郎さん逝く

声優の永井一郎さんが27日に亡くなられた。
 永井一郎という漢字ではピンと来なくても、その声を聞けば日本中の人が聞き覚えがあるはず。



サザエさんの波平、
宇宙戦艦ヤマトの佐渡先生、
母をたずねて三千里のペッピーノ、
未来少年コナンのダイス船長、
ナウシカのミト爺、
YAWARAの猪熊大先生・・・
その他にネットを見るとゲゲゲの鬼太郎の子泣き爺や、
ど根性ガエルの町田先生、
ザンボット3の神北兵左エ門、
最近ではサマーウォーズの陣内万作、
ハリーポッターのダンブルドア校長、



そのほかバラエティや情報番組のナレーターとして、そして、そして機動戦士ガンダムのナレーションでも有名な人だった。

 サザエさんも、声優がどんどんどん入れ替わり、テレビゲームやファストフードが当然のように出てくる時代になり、いつの間にか見なくなった。これでまた、見ることがなくなるだろう。

 日本のアニメは今や重要な輸出品となっているが、1970年代のロボットアニメや魔女っ子アニメがフランスをはじめとするヨーロッパ、中東、南アジアで人気だったからこそ、クールジャパンともてはやされる時代になっている。


 その物心がつくかつかないかのころのアニメによく出ていたのが、永井さん。


日本人の人口構成のうち太い人口を構成する世代が、永井さんの声を聞きながら育った世代だろう。


私なんか、まさにその世代なのだ。


大御所、大女優という人たちの訃報に接しても、いまいちピンと来ないが、ピンと来る人の訃報が多くなる歳になってしまった。

最近、缶コーヒーのCMで聞き覚えのあるBGMが流れていたのでネットを調べるとやはり、ガンダムのBGMだった。

そのCMONAIRの最中に永井さんが亡くなった。
そのガンダムのナレーションの中での決め言葉が「君は生き延びることができるか?」だった。

永井さんはなくなったけど、永井さんの声を聞いて育った日本人、ちゃんと生き延びなくっちゃね。


本当の意味での日本人がこの星からいなくならないように。

2014年1月22日水曜日

GH3というビデオカメラ

 すみれ映像舎 機材係より



GH3という一眼レフカメラを紹介したいと思います。




なぜ映像会社が一眼レフを紹介したいというと、


この機材まさにビデオカメラだからです!




一眼レフでビデオ撮影というともうすでに業界ではおなじみではありますが、


その一眼レフの中でももっともビデオカメラに近い、もしくはそれ以上の機能を備えているカメラであると断言します。




その理由は


まず

30分という規定がないこと、




一眼レフを持っている人はご存知だと思いますが、

連続撮影30分という規定があります。



一般の一眼レフは長回しが出来ないのです。


    - 理由はというと海外の税金の話など色々ありますので置いといて、



30分以上回せないとなるとビデオカメラとしては使い道が限られます。



それに比べ
GH3は電源とSD容量がある限りいくらでも回せます。
そしてバッテリーの持ちもよく2時間程度なら連続撮影を楽々こなせます。

長時間撮影をするビデオカメラと同等の力を持っています。






二つ目は

録画形式が多種多様な事です。


一般のビデオカメラや一般の一眼レフでは多くのコーディック(再生用、制作用の映像圧縮形式)を選べないものが多いと思いますが、

GH3は違います。



MOV(パソコンで編集するため形式),

AVCHD(テレビなどで再生する形式),

MP4(パソコンで再生する形式),


その中でもMOVでは、ピットレート72で撮影出来ます。

(ピットレートの数値は映像の綿密さを表します。通常の地デジ配信のピットレートは15です。)



それにAVCHDでは60Pでの撮影も可能です。

(60Pは一秒間のフレーム数と形式を表します。P=プログレッシブで一枚の絵が60枚連なる事を意味し、滑らかな映像となります)

とにかく高ピットレートで撮る事が出来るのです。
とにかく滑らかな映像を撮る事が出来るのです。


GH3は撮影の場面によって設定を多種多様に変える事が出来るのです。


製作用のビデオカメラ、一眼レフと同等の力を持っています。





3つめは
レンズのバリュエーションです。



GH3はレンズによって大きくカメラが変わります。

そんな事は一眼レフでは当たり前ではあるのですが、

GH3の特色はマイクロフォーサーズです。

マイクロフォーサーズとは撮像素子の多きさです。

GH3は通常の一眼レフよりも少し小さめに出来ています。


小さいと何が良いかというと、
ズームが通常のフルサイズの一眼レフよりも2倍ほど効くことになります。
レンズの絞りを解放してもフルサイズほどボケが弱く、絵の情報をはっきり写す事が出来ます。


これがGH3というビデオカメラの幅を広めてくれます。





LUMIX G VARIO 14-140mm/F3.5-5.6 を使うと

広角から10倍ほどの望遠と、強力な手振れ補正もついて、通常のハンディカムビデオカメラと同等の力を持つ事になります。





Nokton 25 mm f/0.95 を使うと

極端に解放出来るF0.95によって、フルサイズの一眼レフカメラと同等の〝ボケ〟を楽しめる事になります。



このほかにも超望遠レンズや、魚眼レンズ、3Dレンズなどたくさんのレンズがあり、それによってGH3が変わっていくのです。



以上GH3の3つの利点を上げましたが、

そのほかにもGH3には利点がたくさんあります。



それはまた次の機会にしましょう。







2014年1月21日火曜日

『アメリカングラフティ』のエンディング(ネタバレ)

映画の最後には、監督、スタッフ、配役、協力会社などのエンドロールが流れる。

映画館では、エンドロールが流れると席を立つ人がいるが、私は最後まで観る派。

昔のジャッキー・チェーンの映画は最後にNG集を流していた。
TVでは時間の関係でエンディングは省略されることが多いのでファンは危険なスタントに自ら挑むジャッキーを目にできるまたとないチャンスだった。
一度は救急車で運ばれるシーンもあったような気がする。



 『アメリカングラフティ』という映画がある。
たくさんの60‘Sのヒット曲が流れる若きジョージ・ルーカス監督の製作の名作だ。
 
 1962年、アメリカ西海岸の田舎町。
主人公は高校生、多くの他の高校生とともに明日には東海岸の大学に旅立つ。
その夜は、街中で卒業生がバカ騒ぎ。
不良グループとのレース、恋を遂げようとする者、大学か女か悩む者、、、主人公のリチャードドレイファス演じる若者は、そんな高校生に比べどこか冷めている。
明日には、この街には自分はいないと思うと、街ですれ違った美人を夜中探すという、つまらない遊びに夢中になった。
やがて、様々な事件が起きた、高校生たちにとって夢のような一夜が明け、彼らはそれぞれの道を歩み出す。

というところで話は終わる。
 
 昔、TVで見たときは、ここで終わり、なんの物語かは理解できず、懐かしのロックベスト集みたいなレコードを買ってもらって終わった。


 しかし、大きくなって、ノーカット版で見たとき、最後のエンディングでは、その高校の卒業アルバムの写真とその後消息が一人一人語られる。
久しぶりに見て良かったなと何気なく見ていると、その後、作家になったり、自動車事故で死んだりという消息の他に、少なからぬ人間がベトナム戦争で死んだと続く。
見たあとの余韻が吹き飛んだ。
田舎町で平和な一夜を過ごした彼らの多くが、数年後は、ベトナムの聞いたこともない場所で死んでいるのである。
その時この映画の本当の意味を知った気がした。
 今だったら、インターネットを見たら映画のモチーフが解説されていたり、私みたいなのが余計なブログを書いているが、昔は、自分で見て、自分で意味を見つけなくてはいけなかった。かっこいい音楽が流れるだけの映画ではなかったのだ。

 なんてやつだジョージ!こんなエンディング用意しているなんて、



ということで、このブログを読んで『アメリカングラフティ』見ようと思った方、エンディングをばらして、ごめんなさい。もし、誰かに奨めるときは、「最後まで見るといいよ」とだけ、言いましょう。


2014年1月16日木曜日

舞台を、映像に

はじめまして。本日このブログを初めて書く人間です。

今年からもっとブログも頑張ろうと言う社内方針が決まり、週に一回は誰かが書くという持ち回りシステムが採用。そのため、めでたく駆り出されてまいりました。
せっかくなので、そう頻繁でないペースではありますが、駄文を綴らせていただきたいと思います。
今後ともすみれ映像舎を、よろしくお願いいたします。


さて、私はこれまで約10年ほど、いわゆる小劇場と呼ばれる場所で、演劇という名の付く活動をしてきました。
今現在、活動の方は休ませていただいています。ちなみに、辞めたつもりはありません。

そんな経験および、今現在の映像会社スタッフという立場を生かし、
今後は「舞台を映像にする意義」について、書いていけたらと思っています。


ではさっそくですが、
「舞台を映像にする。」
その行為自体、あまりポジティブに受け止めていらっしゃらない方も、多いのではないでしょうか。

その理由は多々あれど、一番はやはり、
「生で見るよりおもしろくなくなってしまう」ところにあると思っています。

実際そう思われてしまっても仕方のないように、残念ながら今現在の映像技術では、実際に舞台芸術を生で見たときの空気感、息遣い、エネルギー、熱…その舞台自体が持つ魅力のすべて、体感することのできる情報量のすべてを、あますところなく表現するということは、できません。
近年の技術の進歩もすさまじいので、いつかそれができてしまう時代も来るかもしれませんが、あくまで今のところは、です。


映像と舞台は別物です。そして舞台は生で観た方がおもしろい。
映像会社の人間としてはジレンマですが、どうしたってその事実は覆すことができません。


ただ、だからと言って、映像にすることに意義がないということにはなりません。





例えば、現在わが社のチャンネルでも紹介させていただいているこの動画。
これは、昨年10月に私が所要で島根を訪れた際、偶然撮影できたものです。

360度の虹が空いっぱいに広がっているように見えるこの現象を見た時、私はあまりの衝撃に思わず泣き笑いし、気付くと夢中でカメラを回していました。

写真や動画を撮りまくりながら、一番よく見える場所を探して走り回り、時には人目もはばかることなく道路に寝転んで撮りました。

当然、動画では、実際にその場にいた感動の何分の一ぐらいしか伝えることはできません。

それでもその時の私は、
この現象を残さなくてはならない、誰かに伝えなくてはならない、
そんな義務感のようなものを、感じていました。


私は最近、舞台芸術も、「現象」と呼んでいいのではないかと思っています。

さまざまな気象条件が偶然にもそろったため出現したこの動画の自然現象と同じく、
ある特定の日、時間、場所において、
そこにたまたま立ち会って下さったお客様との間に生まれることができた、現象。

そんな現象を、瞬間を、
欠片でもいい、
残したい、伝えたい。

その衝動は、大切なことのように思うのです。


他にも、映像が舞台に対してできること。その可能性は、決して少なくありません。

今後また、書いていけたらと思っています。



2014年1月14日火曜日

ACミラン劇場 本田の章開幕

本田にまつわるお金の話。

ミランからCZKAモスクワへ提示していた移籍金 最高300万ユーロ(39000万円)
CZKAモスクワがミランに提示していた移籍金 最低400万ユーロ(52000万円)
CZKAモスクワが冬までホンダを引き止めたために逃した移籍金 最低300万ユーロ

本田の年棒:手取り275万ユーロ(35750万円) ※45000万円という報道もあり。
ミランが代理店を通じて、日本の大手広告代理店と日本国内のロイヤルティー独占契約・・毎年600万ユーロ(85000万円)
ミラン:複数の日本企業とスポンサー契約・・・1000万ユーロ(14億円)
本田のユニフォーム収益:5000着で50万ユーロ、さらに増加中

 ミランとCSKAモスクワが交渉していた夏ごろは、1ユーロ=130円相場だったが、円安傾向で、今は1ユーロ=140円で計算されている。スター軍団ACミランは、最近5シーズンは3位、3位、1位、2位、3位と好調。イブラヒモビッチ、シウバは抜けたが、カカの復帰で補強は充分。少なくともミランを不安視する声はなかったと思う。(もしかしたら、現在の低迷を予測した人がいたかも)夏の時点で、現在の11位なんて誰も想像しなかったし、本田は無理にでも取る理由はなかった。日本のエース本田の周辺にちらつくお金の誘惑を耐えるのは相当我慢が必要だったかもしれないけど。
しかし、寝かせた半年の間に、思いがけないチームの不振、日本代表のオランダ、ベルギーとの健闘が、妙な具合に発酵して本田待望論、そして今の本田フィーバーが生まれている。ミラン自体はスポンサーにユーロで提示しているので、半年で諸契約金が増えたわけではないが、円安傾向が、日本企業を急かし、契約が有利に進んだことは間違いない。

本田を半年遅れで迎えたが、チームには、払った以上の大金が舞い込んできた。こんなACミランだが、一昨年のシーズンの総収入は25690万ユーロ(333億円)、そのうち人件費が16000万ユーロ。イブラヒモビッチ、シウバの退団、人件費が経営を圧迫しているのは確かだろう。倍以上の収入のあるレアルやバルセロナ、マンUのアジア市場の開拓など、もっと経営がうまいクラブはある。本田獲得でうまくやっている印象があるが、そこはイタリア人、意外と大雑把な経営をしているのかもしれない。ちなみにマリノスの営業収入37億円。
その経営陣は現在二頭体制。会長ベルルスコーニの無二の親友で、27年チームを切り盛りしているガリアーニCEO兼副会長と、チームの低迷を見かねて12月に同じくCEO兼副会長として会長の次女バルバラ、69歳の老雄と、29歳のパワフル&シングルマザーの体制だ。共和制ローマ時代ならば、執行官(コンスル)2名で統治する二頭政は、優れた仕組みだった。宿敵カルタゴを破り、空前の繁栄の礎を築いたが、現代のミランの二頭政は、混乱を生みそうだ。話題性は抜群なのでマスコミは大喜びといったところ。

本田の活躍のみならず、様々なドラマが凝縮されたACミランが面白くないはずない。今朝はデビュー戦となるサッスオーロ戦を見た。自分が寝ぼけてるのかと思うほど靄の中で試合スタート。あっという間に、本田が出やすい状況になる2-0。格下は違うなと思っていると、立て続けにベラルディに3得点、逆転を食らう。後半に入ってさらにベラルディに4点目。彼は今日、日本で一番有名なイタリア人になったはずだ。誰がどう見てもひどいチームだ。迷いながらも中盤の2選手を替えた後に、本田交代を決める。
贔屓目に見ても、本田が入って様子が変わった。本田の球さばきの安心感は、それまでドタバタしていた攻撃に落ち着きを与えた。本田が入って以降は自陣がTVに映ることはほとんどなかった。自分で果敢にこじ開ける、という雰囲気はなく、右サイドで、なんとなくいなしていると思っていると強烈な左足のシュートが、バーを直撃。明らかに雰囲気が変わり味方のシュートで1点返す。本田は強引に切り込むというより、適所でパスを回していくという動きで、その後も何度か攻め込む形を作るが、そのままゲーム終了。FKCKを本田が蹴ることになっていて、誰も文句言わないのが意外だった。
結果よもやの4-3の大量失点で負け。「監督クビ」なんてニュースが入った。

バロッテテッリ、モントリーヴォは個人の力で得点した。カカ=本田は、パスをつなぐサッカーを考えているように見える。ただし、本田は「個」の持つ打開力も、W杯に向けて課題にしている。今後はそういう動きも見せるはず。
ミランの試合、場外も含めてこれからも目が離せない。次の試合が待ち遠しい。


高額な経費、経営トップの確執、チームの低迷、次期監督問題、ますます巨大化するサッカービジネス、W杯イヤーの前哨戦とポストW杯後のサッカー界、ACミラン劇場は、ますます白熱する。そして本田の章に舞台は移る。

2014年1月8日水曜日

「午年はシャガールの馬から」

年末の恒例行事、年賀状。子供の頃は1枚1枚、アニメのイラストや、蛍光ペンやシール手が疲れるまで書いていたけど、いつの間にかパソコンで、ささっと作る時代になった。
 それでも、ありきたりの絵は嫌なので、寅年はシベリアンタイガー、卯年は「ウォーターシップダウンのうさぎたち」、巳年はツチノコfrom「ドラえもん」と少々ひねった。
 来年(今年)の馬はどうしよう?馬で有名なキャラ?流鏑馬や古代の洞窟の壁画?映画「戦火の馬」、絵本「スーホの白い馬」、赤兎馬、黒王・・・。全部、結局同じような絵になりそう。飛躍の年!とかけて競走馬で表現、と行きたいけど、お金のために走らされ、最後は薬殺される競走馬じゃかわいそうだし、と思っていると、ふと優しい目をした馬を思い出した。
 画家シャガールが描く馬だ。ネットで検索すると、たくさん馬を描いた画像が出てきた。シャガールの独特のタッチで、つぶらな瞳の馬がたくさん出てきた。今年はこの馬のイラストで年賀状を作った。

 ふとシャガールを検索すると、昨年から、全国5箇所でシャガール展をやっている。http://m-chagall.com/
残りは静岡と名古屋。シャガールの描く馬は、優しいけど蒼い。これは聖書に出てくる「青ざめた馬」を表現している。(全部とは限らない) 聖書の終末を予言する「ヨハネの黙示録」に出てくる「青ざめた馬」は、「死」の象徴らしい。送ってしまって気がついた。こんな年賀状送って、ごめんなさい。
 シャガールは仏人とばかり思っていたが、実はユダヤ系ロシア人。晩年は聖書をモチーフにした連作もあるが、ユダヤ教徒だから、黙示録は信じていたかどうか?
 それより、やはりあの暖かい絵、そして、圧倒する色使いはいい。
 
 昭和のヤクザ映画「冬の華」で、すっかり丸くなったヤクザの組長が、シャガールの絵を褒めるシーンがある。妙に気になるシーンで、ずっと印象にも残っている。なんとなくわかる気がした。




2014年1月7日火曜日

4K映像の是々非々

皆様、新春あけましておめでとうございます。

今年もすみれ映像舎は我々の理想に向けて頑張っていきます。




といことで、年明け一発目の投稿で4K映像について話をしたいと思います。





ついこの間テレビ放送が地デジ化されました。
フルハイビジョンがどの家庭テレビでも観れる時代(テレビによりますが)になりましたが、現在は更に4K映像の時代となります。



4K映像についてまだご存知ない方は少し、


4K映像とは通常のフルハイビジョンの映像1920:1080より高い画素数の3840:2160以上の高画質映像です。これはフルハイビジョンの4倍にあたる画素数になります。
横幅が4000ピクセルに近いことで、K(キロ)をつけて4K映像と言います。
簡単に言うと今まで以上にものすご〜くキレイな映像と言う事です。




さて、これに伴い業界が動き出しました。

特に力を入れているのが
sonyさん,victorさん,panasonicさん,canonさん。


業務用カメラで40万円代の4Kカメラが購入出来る時代になりました。

家庭用4Kテレビは30万円を切るという情報を耳にしました。



が、


課題は制作者の編集環境です。

SSDでのものすごく重い環境での編集を強いられる事や
モニターを一斉に4Kモニターに切り替える必要あり、
なかなか民間の映像企業が手を出しにくい状態であります。



とはいえそのうち簡単に4Kを扱える時代になるのでしょう。




問題は4K映像がどのように扱われ、役立っていくのかにあります。



まず、ただちに4Kが採用されると考えられるのは映画館です。


もうすでに4Kを扱っている映画館はありますし、これから全ての映画館が4Kを扱う事でしょう。
高画質な映像を大画面で楽しめるので小さな映画館でも迫力ある映像が楽しめるようになります。




次にネットです。


ネットはyoutubeなどが4Kに対応している他、様々な形で4Kを拝見しやすい環境ではあります。
パソコン等はモニターが小さく4Kで映像を観る必要性があまりないとは言えますが、タブレットなどから4Kテレビとミラーリングして4K映像を観る事ができるなど、可能性は様々です。




問題はテレビです。


これからCS放送などが4K放送をはじめ、4K映像の映画等が家庭でも楽しめる事と思います。



地デジは課題が多くまだまだ実現が難しいようです。
それとフルハイビジョンの4倍の画質である4Kの良さがでるのが、50インチ以上のテレビからだと思われ、一般の家庭にはあまり4Kの良さは出ません。



それと
一般の家庭で50インチ以上のテレビがある家庭はどのくらいあるでしょうか?

地デジで4Kに対応したとして50インチ以上の4Kテレビを買おうと思っている人はどれくらいいるでしょうか?

そもそも一般の人がそこまでの高画質を求めているでしょうか?


4Kが発展する鍵となるのはテレビ市場の介入でありますが、以上の不安をかかえる事になります。
テレビ市場へのもっと大きなアプローチがないと、市場を開くには難しいようにかんじます。




以上のように4K映像には大きな期待とは裏腹に不安を感じます。


しかし映像の可能性を広げていくという意味では期待したいと思います。





4Kの普及でもしかしたら様々な場所を映画館にする事が出来るかもしれません。


4Kの普及でもしかしたらテレビの格差社会が始まるかもしれません。


4Kの普及でもしかしたらテレビとネットをつなげる動きとなるかもしれません。






4Kが今後どのように発展していくかをすこし楽しみにしています。