2014年1月21日火曜日

『アメリカングラフティ』のエンディング(ネタバレ)

映画の最後には、監督、スタッフ、配役、協力会社などのエンドロールが流れる。

映画館では、エンドロールが流れると席を立つ人がいるが、私は最後まで観る派。

昔のジャッキー・チェーンの映画は最後にNG集を流していた。
TVでは時間の関係でエンディングは省略されることが多いのでファンは危険なスタントに自ら挑むジャッキーを目にできるまたとないチャンスだった。
一度は救急車で運ばれるシーンもあったような気がする。



 『アメリカングラフティ』という映画がある。
たくさんの60‘Sのヒット曲が流れる若きジョージ・ルーカス監督の製作の名作だ。
 
 1962年、アメリカ西海岸の田舎町。
主人公は高校生、多くの他の高校生とともに明日には東海岸の大学に旅立つ。
その夜は、街中で卒業生がバカ騒ぎ。
不良グループとのレース、恋を遂げようとする者、大学か女か悩む者、、、主人公のリチャードドレイファス演じる若者は、そんな高校生に比べどこか冷めている。
明日には、この街には自分はいないと思うと、街ですれ違った美人を夜中探すという、つまらない遊びに夢中になった。
やがて、様々な事件が起きた、高校生たちにとって夢のような一夜が明け、彼らはそれぞれの道を歩み出す。

というところで話は終わる。
 
 昔、TVで見たときは、ここで終わり、なんの物語かは理解できず、懐かしのロックベスト集みたいなレコードを買ってもらって終わった。


 しかし、大きくなって、ノーカット版で見たとき、最後のエンディングでは、その高校の卒業アルバムの写真とその後消息が一人一人語られる。
久しぶりに見て良かったなと何気なく見ていると、その後、作家になったり、自動車事故で死んだりという消息の他に、少なからぬ人間がベトナム戦争で死んだと続く。
見たあとの余韻が吹き飛んだ。
田舎町で平和な一夜を過ごした彼らの多くが、数年後は、ベトナムの聞いたこともない場所で死んでいるのである。
その時この映画の本当の意味を知った気がした。
 今だったら、インターネットを見たら映画のモチーフが解説されていたり、私みたいなのが余計なブログを書いているが、昔は、自分で見て、自分で意味を見つけなくてはいけなかった。かっこいい音楽が流れるだけの映画ではなかったのだ。

 なんてやつだジョージ!こんなエンディング用意しているなんて、



ということで、このブログを読んで『アメリカングラフティ』見ようと思った方、エンディングをばらして、ごめんなさい。もし、誰かに奨めるときは、「最後まで見るといいよ」とだけ、言いましょう。


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