2014年5月12日月曜日

「『How I live now』予告編と公開されない映画」

 映画館へ行った時の楽しみの一つが予告編、たっぷり5分は見させるが、どれもこれも見たくなる。
実際見るとそれほどでもない。
映画を観て感じる心理と、予告編を見て感じる心理は確実に違うのだろう。まんまと私たちははめられているのだ。


 最近では、YouTubeで気軽に見られる。日本公開前のものも有り、期待が高まる。そんな映画の予告編を一つ。

シアーシャ・ローナン演じる事情のありそうな美少女が空港に降り立つ、いとこの住むド田舎にやってきた彼女は、やがて心を開き・・・ボーイ・ミーツ・ガール物か?と思いきや、何かが彼らに迫る。
遠くに響く音が近づき・・・モンスター・ホラー物か?と思いきや、状況がわからない少年少女たちに銃口が突きつけられる。どこかの誰かが戦争を始めたのだ。彼女らは収容所に入れられ、やがて脱走する。

第三次世界大戦が起きたら?というお話。全世紀の後半は世界中の人がこの影に怯えていたが今では古臭いテーマ。

原作はメグ・ローゾフの『わたしは生きている』。原作も評価が高い作品。公開は、去年の夏、欧米で、日本公開は未定だった。そして未だに日本での公開予定はない。

主人公シアーシャ・ローナンは、たった2分の予告編で、周囲に心を閉ざす冷たい少女の表情、同年代のいとこに心打ち解けた時の笑顔、恋する乙女の目の輝き、そして、恐怖と苦しみの表情と様々な顔を見せている。映画『ラブリーボーン』の主人公だし、原作の邦訳も出版されているし公開しない理由はなんだろう?やはり第三次世界大戦は古臭いのか?

 冷戦終了後、第三次世界大戦を想定した映画・フィクションはほとんど見なくなった。ユーゴ内戦、イラク戦争、アフガン戦争、シリア内線と戦争はあっても遠いよその国、今、自分たちの生活している場所が戦場になるなど誰も思っていない。想像力の働かないところにはフィクションすら生まれない。唯一戦争を想定してものを言っているのは、意外と安倍総理かもしれない。しかもチョー現実的だけど。ウクライナ情勢が混沌とし、ロシアの先祖返りが明らかとなった今、こういう映画こそ上演すべきなんじゃなかろうか?
あれっ意外と安倍さんに気を使って、この映画公開しようという会社出てこないのかな?

How I see now