2014年6月4日水曜日

「アンと花子と専業主婦」

NHKのテレビ小説は、朝、夫と子供を送り出した主婦が、ほっと一息ついて観る15分、というのを聞いたことがある。第1作は1961年、高度経済成長期。途中から年2作になり半世紀以上続き、現在86作となる。

 専業主婦というものが日本で一般化したのが、この高度成長期。これ以前は人口の半分近くが第一次産業だから、農業と主婦業というのが日本女性の主な仕事だったと言えるだろう。また、生活家電、スーパーが発達していない時代主婦業は重労働だったはずだ。
 1960年代、高度経済成長はサラリーマンや製造業従事者の妻が、この専業主婦になっていき、今見直しが進んでいる「所得税の配偶者控除」が出来たのもこの頃。この悪法は、女性の仕事への意欲を削ぎ、先進国中女性の社会への進出105位という結果を生んでいる。政府としては、専業主婦化した労働人口は失業率の母数から除かれるので、統計的に労働政策の非難を回避できた都合のいい仕組み。NHKの「朝の15分は専業主婦の時間」も、日本的な風景を作るのに一役買ってきた。
 そのうち、ビデオが一般化し、帰宅後見ることもできるようになったが、相変わらずこの枠は、女性が主人公のドラマ枠になっている。「おしん」のような立身出世物語や、様々な職業の女性が人生を変遷していくもの。専業主婦が主人公でなく、その憧れのようなものが反映しているのかもしれない。

今作は「赤毛のアン」の原作者村岡花子の半生をお孫さんが書いた「アンのゆりかご」をもとにしている。村岡花子の人生に、赤毛のアンのエピソード(自分の呼び名、石板で同級生を叩く、お酒を飲んでの大失敗、おじいにマシュウの口癖(※これはアニメから拝借))を盛り込んだ、幾分ファンタジーのような話と思いきや、5月に入って、蓮子なる謎の人物が出てくる。自らを白蓮と名乗るので、もしかしたら「白蓮事件」の?と思い調べるとまさしくそうだった。村岡花子と交流があったようだ。ここで一気に、このドラマが、村岡花子の半生を童話的に物語るのではなく、大正昭和の激動の歴史の中で語られていくことを知った。(私はこういう展開が好み)

 赤い髪にコンプレックスを抱えるアン。見た目や容姿に劣等感を抱える女の子が、いつの間にか自らの努力でそれすらも克服していく物語「赤毛のアン」は世界中の女の子のバイブル的な本だった。が、カワイイに振り回され、化粧品や、ネイル、つけまつげにお金をつぎ込み、簡単に美容整形してしまう現代の日本人女性には耳の痛い物語になってしまった。

 専業主婦、ファッションや美容にお金を使わせられる仕組み、いつの間ににかどこかの誰かに踊らされている。Anneはそんな子じゃないし、そんな子に憧れていたこと思い出してもいいんじゃないかな。