2014年2月4日火曜日

都知事選とローマ人

都知事が選始まった!

都知事選が始まりました。
ほんの半年前までは英雄扱いだった猪瀬さんが献金問題で辞職し、急遽決まった都知事選。原発廃止を掲げ、細川&小泉の元首相コンビの話題性以外は盛り上がりに欠ける顔ぶれ。

若い人もいない。
女性もいない。
かと言って、与党も最大野党も積極的に推す人もいないという、とうとう人材払底の感すらある都知事選になってしまった。
 猪瀬さんを引きずり下ろすのに元気だった都議会からも誰も都知事をやろうと手を上げるものもいない。
国政や、他県で実績を積んだ人も打って出る!ということもない。
 これはどういうことなのだろう?
 東京に限らず、日本自体に、政治家が育つ仕組みが無いのかもしれない。

塩野七生さんの『ローマ人の物語』を読んだことがある人は、古代ローマの元老院の仕組みをご存知だろう。
知らない人のために少し説明します。
元老院というと、ヒゲモジャの賢そうな老人が、経済から軍事まで国家の方針を喧々諤々一生懸命議論しているラファエロの絵画のイメージかもしれない。

しかし、これはギリシヤのアテネのプラトンとアリストテレス。それも学問の問答だ。
それでも同じようなイメージをお持ちの人もいるだろう。

実際の元老院は、実に多彩な機能があった。時代によって構成するひとびと・機能・国家の役割が違うが、共和制時代の政治家養成機関としての元老院を説明します。

 ローマの国家元首は、執政官、定員2名で軍の最高司令官でもある。(塩野さんの喩えは『首相権防衛大臣兼統合参謀本部長』だ。)
その執政官の諮問機関が元老院だ。ローマの財務系の官吏であるクワエストル、貴族ではなく平民の代表者と言える護民官の経験者、名家の子弟がなって終身だった。
世襲ではない。そういった軍事を含む行政経験者が、元老院入りし、老人だけではなく、壮年の男性も多くいた。
ローマのエリート官吏はほぼ全員軍隊経験があり、議員といえど、戦時には一兵士として戦場に死ぬことすらあった。
ローマには戦いの神ヤヌスを祀る神殿があり、戦時にはその扉が開かれていた。
この扉はほぼ閉じられ得ることがなく、どこかで戦争をしていたローマにおいては、今日、議員だった者が、あすの戦場に死ぬことはざらにあったという。
高貴なるものの責任を表す「ノーブレス・オブリジュ」という言葉の語源は凄まじいものがある。

 また元老院で経験を積み、財務官や、法務官といった政務官の代表にもなっていた。今の大臣になるだろう。
つまり元老院は、人の出入りが多く、そこがゴールではなく、再び、行政官にもどるし、戦場にも行くし、ローマの属州や属領に赴任することもあった。
言ってみれば、巨大な政治家養成機関であったと言える。

 もし日本で同じような仕組みを作るとしたら、国会とは別に、学生・社会人から選抜、数万人単位の巨大な受け皿組織を作る。
彼らを中央や地方、国外で行政を経験させる。自衛隊の地方の出納官吏、過疎地の振興事業、建造物の保守、国境の警備、途上国の支援業務、何でも経験させる。
過疎地や、災害があったところにも有機的に人を派遣させる。
その上で、40歳を過ぎたあたりから、個々の適性を見、中央省庁の要職につけたり、国会議員にする(立候補させる)
国家試験時の成績で、省庁や一生の席次が決まる今の仕組みでなく、社会の変化に対応できる人材を常にプール、常に育成、人の出入りも緩やかにした人材プール機能の組織が必要なのかもしれない。
20代、30代で慌てて政治家になる必要は無い。かのシーザーも40過ぎて政治家のキャリアがする。

 いま日本で政治家のキャリアは、どうやって育成されるか?

まず、出身職業だが、①地方議員出身、②政治家秘書、③官僚出身、④組合・政党等の職員、⑤弁護士、⑤タレント・スポーツ・ジャーナリスト他となる。(政治家の子供は職業ではないので出てきません。)

その後は、所属する党の仕事、各委員会の仕事、与党になり政務副大臣、政務大臣をしたあと、党の要職、大臣あたりがゴールになる。
大臣になっても、官僚のトップ、事務次官にいろいろ教えてもらわなくてはいけないので、有権者は、政治家を選んでいるのではなくて、官僚の生徒を選んでいるに過ぎないのかもしれない。
 
都知事になるような政治家は、行政能力があるだけでは、ダメで、都議を何年もやっているだけでもダメ。
こういう東京や日本の元首となる人には、普通の政治家以上の何かが必要で、そこまで養成することはできないだろう。


ただし、強烈なカリスマがなくても、適所に適材を置くシステムは作れると思う。


ローマの元老院のような人材を育成しながらプールする機関を作れないものだろうか?

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